弔辞の披露の際の作法・マナー・仕方について。
【葬儀】の準備から終了まで
葬儀・告別式の準備
  事前の打ち合わせ
  葬儀・告別式の日程の注意点
  弔辞の依頼
葬儀の進行
  喪主・遺族の入場
  弔問客の入場
  僧侶の入場
  開式の辞
  読経
  弔辞の披露
  弔電の披露
  焼香の仕方 (宗教別作法)
  献花の仕方・作法
  閉式の辞
告別式の進行
  弔問者の焼香の仕方 (宗教別作法)
  献花の仕方・作法
  数珠の種類・扱い方
告別式の終了・最後のお別れ
 告別式の終了
 故人との対面
 分れ花
 釘打ち
 出棺・喪主の挨拶
 会葬礼状・即日返し
火葬場への移動
 火葬場への同行者
 火葬場への持参物
 斂祭(納めの式)
 控室で待機
 骨揚げ
 分骨する場合
遺骨迎え
 留守役
 後飾りの祭檀
 遺骨迎え
 還骨回向
 初7日法要
 精進落とし
 喪主の挨拶~献杯
 僧侶へのお礼
 葬儀後のあいさつ回り
 香典返し

[ペットの葬儀]

ペットも家族の一人として、火葬でお見送り
 ペット葬儀社


発行所 日刊葬儀新聞通信社
東京本社:〒169-0075 東京都新宿区高田馬場2-9-1
電子版アドレス: http://recordasia.co.jp/funeral/
電話番号:0294-33-5862

お問い合わせはメールでお願いいたします。
・広告掲載のお申込はこちらから
・葬儀関連本新刊寄贈
・相互リンクについて

[葬儀関連業界従事者向けコーナー]
 葬儀関連業界向け商品・サービス一覧






top > 法事法要top > 【葬儀】の準備から終了まで > 弔辞の披露
【弔辞の披露】


・「ただいまより、弔辞を頂戴します。友人代表○○殿」と指名します。


・「様」ではなく、「殿」と用います。政治家や学者などには「先生」を用います。

   




・弔辞は葬儀後も喪家に保存されるので、原稿を作るのがマナーとなっています。


・遺族に一礼してから弔辞を開き読みはじめます。

   

「『赤塚不二夫 葬儀・告別式 弔辞』 タモリさん(森田一義氏)」
弔辞
8月2日にあなたの訃報に接しました。
6年間の長きにわたる闘病生活の中で
ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、
本当に残念です
我々の世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう
あなたの今までに無かった作品や特異なキャラクターは
私たち世代に強烈に受け入れられました
10代の終わりから 我々の青春は赤塚不二夫一色でした
何年か過ぎ
私がお笑いの世界を目指して九州から上京して
歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に
あなたは突然 私の眼前に現れました
その時のことは今でもはっきり覚えています
「赤塚不二夫が来た あれが赤塚不二夫だ 私を見ている」
この突然の出来事で 重大なことに 私はあがることすらできませんでした
終わって私のところにやってきたあなたは
「君は面白い お笑いの世界に入れ」
「8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ」
「それまでは住むところがないから 私のマンションにいろ」
こう言いました
自分の人生にも 他人の人生にも 影響を及ぼすような
大きな決断を この人はこの場でしたのです
それにも度肝を抜かれました
それから長い付き合いが始まりました
しばらくは新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方集まっては
深夜までドンチャン騒ぎをし いろんなネタを作りながら
あなたに教えを受けました
いろんなことを語ってくれました
お笑いのこと 映画のこと 絵画のこと
他のことも色々とあなたに学びました
あなたが私に言ってくれたことは
いまだに私にとって金言として心の中に残っています。
そして仕事にいかしております
赤塚先生は本当に優しい人です シャイな人です
麻雀をするときも相手のふりこみで上がると
相手が機嫌を悪くするのを恐れてツモでしか上がりませんでした
あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。
その裏には、強烈な反骨精神がありました
あなたは全ての人を快く受け入れました
そのために騙されたことも数々あります
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります
しかしあなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことがありません
あなたは私の父のようであり兄のようであり
そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は
はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした
たこちゃんの葬儀の時に大きく笑いながらも
目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち
出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては
「このヤロー 逝きやがった」とまた高笑いしながら
大きな涙を流していました
あなたはギャグによって物事を動かしていったのです
あなたの考えは全ての出来事 存在をあるがままに
前向きに肯定し受け入れることです
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され
軽やかになり また時間は前後関係を断ち放たれて
そのとき その場が 異様に明るく感じられます
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています
すなわち「これでいいのだ」と
今 二人で過ごしたいろんな出来事が場面が思い浮かべされています
軽井沢で過ごした何度かの正月 伊豆での正月 そして海外へのあの珍道中
どれもが本当に「こんな楽しいことがあっていいのか?」と
思うばかりの素晴らしい時間でした
最後になったのが京都五山の送り火です
あのときのあなたの柔和な笑顔は
お互いの労をねぎらっている様で一生忘れることができません
あなたは今この会場のどこか片隅にちょっと高いところから
あぐらをかいて 肘をつき
ニコニコと眺めていることでしょう
そして私に「お前もお笑いやってるなら弔辞で笑わせてみろ」
と言っているに違いありません
あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません
私は人生で初めて読む弔辞が
あなたへのものとは夢想だにしませんでした
私はあなたに生前お世話になりながら
一言もお礼を言ったことがありません
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に
お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです
あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました
しかし 今 お礼を言わさせていただきます
赤塚先生 本当にお世話になりました
ありがとうございました
私もあなたの数多くの作品の一つです
合掌
平成20年8月7日 森田一義
日刊葬儀新聞社編集部eye
伝説となった赤塚不二夫先生の葬儀・告別式にて「読まれた」タモリさんの弔辞です。この時、タモリさんは原稿を読んでいるような感じですが、ワイドショーの映像を見ていると白紙のようにも見えるのです。この長文をタモリさんは、一流のエンターテイナーとして、原稿を読まずに語りかけていたのかもしれません。一般的に、弔辞は原稿として遺族に渡した方がいいのでしょうが、そこは一流の者たちの一流な作法として、多くの方の心に残った弔辞であったことでしょう。

よく麻雀についての話題が、芸能人の方々の弔辞には出てきます。麻雀に弱かった・勝ったことがないのは、故人の優しい・裏表ない人柄を表すのに最適なのかもしれません。人生に勝った人たちが、麻雀に弱かった。貧乏な若手にとっては麻雀は生活費を得るために真剣に取り組むもの、赤塚先生はそれを見透かしてお金を援助してあげるために負けてあげていたのかもしれません。お世話になったことを麻雀にたとえて表現する芸人たちの独特の表現なのです。

   

・語りかけるように読みます。


・読み終えたら、もとのように包み直し祭壇に置いて戻ります。








[ナレッジエクスチェンジ 知識・経験共有プロジェクト]
■このページに関連する、他の生活者に有益な情報と思われる、あなたの経験・知識をご提供ください。
 (お気軽にご提供ください。その真偽については編集部の責任で調査・取材し掲載させていただきます。)
このページへ登録推薦・投稿報告するには、コチラからお願いします。  ※掲載基準について

登録推薦・投稿報告はこちらをクリック後、記入フォームよりお願いいたします。
日刊葬儀新聞社グループ
     

 
クリックの仕方・使い方相互リンク募集
2006 Copyright All right Reserved.  日刊法事法要新聞