経済的理由で葬儀が行えないのなら『寺院』へ相談を~大聖山遍照院普門寺別院の住職である濱田淳史さん
20121/1/11 20:00配信~「大聖山遍照院普門寺別院」~住所:
東京都武蔵野市 お問い合わせはこちら
みなさんは、お葬儀をどこに依頼しますか?
『病院からの紹介』『葬儀社』『農協』『生協』、新しく参入した大手ショッピングセンターの『イオン』、最近では街の『お花屋さん』などでも依頼することができるように、今日様々な葬儀の窓口がある。
そんな中で、東京都武蔵野市(神奈川県川崎市中原区)にある大聖山遍照院普門寺別院では、『寺院』が葬儀の窓口となる「寺院の葬儀」を行っている。
なぜ、「寺院の葬儀」なのか。大聖山遍照院普門寺別院の住職である濱田淳史さんによると
「それはお寺の本来あるべき姿と思っているからです。」という。
「お寺が最初から最後まで面倒をみるのは当たり前のことであり、お寺と喪主、もしくは本人と葬儀を組み立てることが可能なため。
僧侶側も拝むだけというのではなく葬儀全般を施行することで、より心のこもった供養ができる。葬家側も安心できる。」と思いを語っていただいた。
今日、経済的に余裕がない方、お金がないから葬儀ができない、火葬のみ(直葬)で済ます方が都心を中心に増えてきている。
そんな状況に対して、濱田さんは、
「我々僧侶としては、言葉が悪いですが、単に遺体を火葬の処理で終わってほしくないというのが願いです。
ただ、それでも何かの理由で火葬のみを望むなら無理強いはしないですが、単に経済的な理由ならば
こちら側の工夫でそれなりの儀式にはできます。経済的理由で葬儀ができないという方も葬儀をできるようにしているだけです。」と、頼もしい。
そもそも、最近「直葬」が流行だが、火葬による処理だけで終わってほしくないと思われるのはなぜなのか。仏教的に、葬儀で僧侶によるお経をあげる理由について、お聞きしてみた。
【葬儀における僧侶の「お経」の意味】 真言宗の場合 |
「 真言宗の場合、葬儀の儀式は亡者を僧侶とするための儀式であり、導師を通じて亡者を仏弟子とする。
仏様と亡者との仏縁を結ぶ仲介役のような存在が導師である為。
生きていても同じで仏門に入るには師匠に仏門に入る儀式、仏の世界でのルールなどを授けていただく。それを行っているのが葬儀でのお経です。」 |
と分かりやすくご説明いただいた。
では、お位牌に、戒名ではなく、現世での「姓名(俗名)」を記す方も増えてきているが、そもそも戒名とは何か、お聞きした。
【葬儀における僧侶から授かる「戒名」の意味】 真言宗の場合 |
「 仏門に入るには師匠を通じて戒名を授かり、仏の道を歩む。その為に必要である。
本来の戒名の意味を考えると俗名で仏の道を歩むのは矛盾しているため。
また仏式での葬儀をするのであれば必要である。」 |
最近では、無宗教葬も多くなってきているが、仏式での葬儀を行うなら、やはり戒名は必要ということだ。
もっとも、戒名を授かるには、数十万円から都心では二百万円が平均と言われており、経済的理由から遺族が故人に戒名を付けてあげられず悔やむ状況も生まれている。それに対して、ご住職は、「経済的な理由でやむなく俗名にするのであれば、それを同等の料金でも補助してあげるのは当たり前だと思う。」と答えていただいた。
なぜ、このような寺院中心の葬儀をすることができるのか。
通常、葬儀は、お花や食事などの準備が必要となるので、葬儀社が一式を取り仕切り、そこに僧侶をお招きするのが一般的だ。大聖山遍照院普門寺別院では、協力企業があるからこそ、すべて込みの金額でお経や戒名も授かれる葬儀を低価格で実現することができるようだ。
お花については、地元商店街の「サンセットガーデン(URL:http://www.sunset-garden.com/)」、 仕出し料理についても川崎市中原区の「F&Kフーズ(URL:http://www.fandkfoods.co.jp/)」が、協力してくれている。まさに、地域商店街連合体で、格安の葬儀を実現している。
そして、「葬儀」をしっかり行うことで、供養を身近にすることができ、そこから実感できることがあるという。
「生死は表裏一体で生まれた以上我々は確実に死に向かい歩んでいます。死を目の当たりにすることにより、自分が今、この世に存在していること、生かされていること、自分に今があることが改めて考えさせられます。自分の最高の今の積み重ねがいい過去にもなりいい未来になることを改めて考えていただけるのが葬儀や法事の場でもあると考えます。当たり前故に忘れがちになってしまうのが人間です。このように我々も命の尊さや生きているということを法話や供養の場で伝えることにより、自殺や、他殺が少しでも減少し、皆が一生懸命生きていただければと考えます。」
なるほど、死を目の当たりにすることで、人生の完全燃焼に繋がるということか。
また、御寺では、「未来計画書」という新しい概念を提案されている。
「葬儀で必要な項目をチェックしてもらい葬家が葬儀のプランをある程度組みたててもらいそれを施行するのが我々の仕事です。簡易なチェックシートにすることにより、何度も更新していただくのが目的です。
葬家や本人と共にどういう葬儀にしたいか?を生前から考えておくことにより突然訪れる死に対応するためのツールとして作りました。同じく死を考えることは自分の今を考えることにもなります。」
宗旨宗派不問だという。
最後に、今後のお寺のあるべき姿としてのご意見を伺った。
「寺子屋の様な存在、誰しもが頼ることのできる相談所でお寺の在るべき姿を取り戻したい。和歌山の本院はそういう存在であるため。お寺だといって構える必要はなく、むしろ何に対してでも相談しに来れる場をこれからもつくっていきたい。」
濱田さんの大いなる夢はまだ半ばにすぎない。多くの寺院が、お寺の在るべき姿を取り戻し、災害時などにも頼れる存在であり続けて欲しい。今後のご発展を心から期待する。
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